吐露



家族のなかの一人、学校のなかの一人、社会のなかの一人、その事実だけで息苦しくてたまらないときがある。

生きるということは、時を重ねるということであり、時というのは戻せないものである。

私は、私の両親の元に生まれてから、もうすぐ二十二年経つ。
就職先も決まった。来年の春、卒業する。

この事実が苦しい。
周りの人たちが大好きで、同じくらい苦手。たまに、自分というものがわからなくなるときがあって、人にどう接すればいいのかわからなくて、ただ、空間に漂っている感じがする。


今、やりたいと思っていることに挑戦せずにいつ挑戦するのかと聞かれれば本当に情けなくて泣けてくる。
理想と現実は乖離しており、理想を叶えられるほどの力量もないと自覚している情けなさ。

自分に甘く、また楽しいことに目移りがちな私は、いつの間にか取り返しがつかなくなり、妥協の人生のレールの上を走るのみとなる。

なにが大事か。挑戦する心、やわらかくて脆く薄く色のついた心、実行力、周りの手助け、挙げればキリがない。

なにが大事か。家族、恋人。世間体。
そんなもの、と人は笑うかもしれないけれど、どうしてもどちらも大事なのです。

両立できたときこそ、私の幸せであり、また今現在の時点で両立できないレールを走る予定だからこそこんなに吐きそうなのかもしれない。

就活は後悔の連続であり、自分の情けなさや甘さを改めて実感した。

しかしながら、褒められるところは褒めてあげたい。少なからず自分を認めたい。

私の人生には、いつも誰かがいる。